2005年4月2日

《スパイウェア》

コンピュータウィルスの存在は、広くお年寄りにまで浸透したのだが、スパイウェアとなるとまだまだ20代、30代といったコアな一般ユーザでさえ知らないケースが多い。
スパイウェア、アドウェアなどと呼ばれるこれらのソフトウェアは、ユーザの隙を突いてパソコンにインストールされ、その会社の広告をポップアップで表示させたり、ID、パス、メールアカウント等の個人情報を会社に送り返したりする。
厄介なのは、特定のウェブサイトを閲覧しただけでインストールされてしまうということだろう。
そして、アンチウイルス用のソフトだけではもれて進入してきてしまうということも挙げられる。
最近では、スパイウェアはウィルスを上回る脅威となってきている。
なぜなら、スパイウェアには利益の実現という目的とベンチャーキャピタルという後ろ盾があり、ウィルスよりも作成が容易かつ高度化が可能だからだ。
すでに、アンチスパイウェアソフトでも対応としては十分ではなく、ゲートウェイ型でのチェックが不可欠という。
個人でココまでの対応はマニアしか出来ないし、企業としても対策コストが急上昇してしまうだろう。
携帯にさえウィルスが登場してきた昨今、個人情報の防御はますます身近な問題となるだろう。

2005年4月1日

《成りあがり》

世間では、特にお金持ちの世界では「成りあがり」でセレブになった人は最初からセレブに生まれた人よりも一段下に見られる。
上流社会のソサエティなどはまさにその典型で、生まれや交友関係などを重視しているのだが、私はこうした考え方を心底軽蔑している。
お金を自ら稼ぎ出した人間と、最初から持っていた人間の価値を比較してどちらが上かと聞かれれば稼ぎ出した人間に決まっている。
そもそも会社、法人というものを息子が二代目で引き継ぐという考え方が法人の存在意義から考えれば不自然であるし、親が築きあげた地盤で恥ずかしげも無く生きているのは自立・自尊の精神に欠けていて一人前ととてもいえない。
一方成り上がった人は、本当にドロにまみれて築き上げた自分の居場所であり、勝ち取った報酬であり、心底惚れる人の生き様がそこにはある。
大切なのは、上流にはびこるそこでしか通用しない常識やマナーなのではなく、刻み込まれた男のしわであったり、ささくれた指であったり、そうしたものの上に立つ成功であろう。
私にとってはいつであろうと「成り上がり」こそ、尊敬すべき金持ちである。