2006年5月27日

《インターン》

私がまだ大学生だった頃、会社を起こして運営しているベンチャー社長とはどういう人か、興味があった。
おそらく直接話を聞く機会があるなら、ぜひ会ってみたいなと思っていた。
いざ自分が経営者になるとわりとなんでもないことなのだが、当時の自分に教えたいこと、伝えたいことはたくさんある。
まだまだ経営者としては走りだしたばかりだが、今年からはインターンに参加しよう。きっと私自身自分の事業を見なおす良い機会になると思うし、この機会を活かして起業して夢を掴む人が出てくるかと思うとワクワクした気持ちになる。
夏頃は会社としても忙しい盛りだと思うけれど、良い出会いができるといいな。

伝えたい事が山ほどある・・。書かねば。
当社もヘルプデスク的な役割を業務で請ける事が増えてきている。今まで作業でわからない事があった場合にバックグラウンドのコールセンターに問い合わせる、といった流れは何度と無く経験している。
しかし、コールセンター側の仕事というのは、現場とは違った難しさがあるものだ。
まず、ヘルプデスクに必須のスキルとしては、「想像力」だと思う。同じ研修を受けて、実際機器やシステムに精通していたとしても、現場で起こりうるトラブルは千変万化である。そして、緊急性や二次トラブルへの発展性など、現地で感じている温度は快適なバックでは中々感じづらいものだ。もちろん「スキル」も大事である。得てして現地で作業している人のほうが作業経験を積んでいくうちにシステムにたいする精通度が深まっていくものだ。しかし、同程度以上のスキルを保有し続けなければ、現地作業者がトラブったときに役に立て無くなる。
しかし、何よりも重要な事は、「どこまで判断できる権限を付与されているか?」であろう。何も判断できないのであれば、取り次ぐ時間だけロスにしかならないし、逆にその現地でのトラブルが重要そうであると判断したならば、勝手な判断は厳禁となる。
エスカレーションとは、ヘルプデスクの第一次対応者が対応できないと判断した場合に管理者に情報と判断を引き継ぐ事を云う。そして、ここのヘルプ要員のスキルや権限を加味してルール付けをし、ヘルプの全体像や情報や判断の流れを取り決める事をエスカレーションフローと呼ぶ。これがしっかり固まらなければ、どれだけ優秀なスタッフが第一次対応者として電話応対を担当しても、どれだけ権限の強いスーパーバイザーがいたとしても、ヘルプデスクは機能を充分に発揮できない。
現地作業者側でいつも思うことだが、「細かいトラブルでも情報は総てあげろ。勝手な判断はするな。」といいながら、問合せに何時間も待たせるヘルプデスクは助けどころか有害にしかならない。むしろ、「総て任せた」と云ってもらったほうがどれだけ助かるか。
バックにはバックの難しさがあるのだ。

問題提起は、ある意味シンプルで行いやすい。目に付いた不満点を分析し対策を練り、行動に移すというものだ。
そして、結果をまた評価する。その際、評価はまたついつい不満点・改善点に集中してしまい、「満足に出来た」と思うことを全面に出す事はあまりない。
もちろん現状に満足して緩むという事はあってはいけないのだが、あまりにいつもいつも、「ここを何とかしなければ!改善だ!」と云っているのでは、上手くいっていることもあるのに、それが皆に伝わらなくなってしまうのだと思う。
今期の総括を行うにはまだ早いが、ここまでやってきて当社が良く出来てきているなぁと思うことを書いてみたい。
1.スタッフ個々の「会社」としての意識
2.雇用形態の改善など「会社」としての組織体制
3.受注企業の多様化による独立性の確保
4.利益体質確保による財務体質の健全拡大化
5.採用形態の多様化による人材確保のノウハウ増加
6.同一スタッフを長く使う事による品質やノウハウの向上
7.依頼企業の信頼向上による資金経路の安定化
あげればきりが無いのだろうが、一歩一歩改善しているし、どれもスタッフやお客様の協力あってこその進展である。
特に最近はスタッフの皆と話をしていてもトライアンフという会社の中で自分はどんな役割なのか、と云う部分をしっかり把握していてもらえるんだと感じる事はとても多い。経営者としては皆がそれぞれ会社を支えているんだという自負や責任感を持っていてもらえるのはありがたいことだし、力強い支えになっていると実感できる。
まだまだ発展途上でとても現状に満足できる状態ではないが、これからも一歩一歩階段を昇っていける企業でありたい。

ある企業の事だが、最近二次外注を認めないという動きがある。取引先も一社にまとめたいとの事だ。
確かに我々の業界では、縦串横串が多重にあって一見責任の所在が見えなくなりがちである。また、クリアでない法律の遥か手前で自社内のラインを引こうという気持ちも理解できる。
しかしながら、外注先の社内体制や雇用方針、人事に口を出すのは正しいといえるのだろうか?金額を考えれば無理な注文も、何とかしている業者があるとの事。聞けば、発注元の幹部の後輩だとか、発注担当社員が独立した会社だとか。コネクションが何もかもいけない等と青臭い事は云いたくないが、それならば単価を削って生じる障害も我々とは違った解決策が取りうるだろう。
それでも、品質の落ちる身内を使えばコストは落ちるがサービスの質も落ちる。仲間内で何もかもナァナァにしてしまえば風通しの悪い企業風土が出来上がる。担当者はご満悦かもしれないが、企業体としての価値は落ちるだろう。
蛇足だが、当社では請ける時も仕事を出す時も、数社に分けたほうが独占するよりも良いと思っている。比較対象があればこそ、相対的に企業の良さが分かるのだし、健全な交渉により単価も決まる。仕事の責任ラインも明確になる。
多様な価値観が認められなくなった企業は権益と腐敗にまみれるのも早く、そこから脱出するのは困難になる。
マネジメントをする際に、「コスト削減」を叫べばよい時代は終わった。徐々に世の中が品質重視に傾く中、企業はどのようなアライアンスを目指すべきか?
我々は「仕事」で応えるし、健全に競争する。そしてきちんとコスト対効果を示せれば、きっとビジネスは活きると信じる。

我々のようにパワーピラミッドの下のほうで作業するスタッフには、いつも目の前にいるエンドユーザさんに喜んで欲しいと思う気持ちが強くある。
もちろん、予算の都合やサポートの適応内外の区分というものは、上流マターで決めるべきものであり、指揮系統をはずれた勝手な振る舞いは作業員には許されない。それは重々承知である。
しかしながら・・と思うものである。
タイトルの言葉は、営業先のベテランスタッフが何気なく使った言葉だ。長年下流で働いてきたその人にはもちろん業界のルールというものは良く分かっている。
しかし、サービスの本質を考えた時、現場で長く働く人のつぶやくこうした言葉にこそ、どのようなカリスママネージャの唱える格言よりも重い意味があると感じてしまう。
今日、一日この言葉が耳の奥から離れない。