2005年4月4日

《味覚》

日向家の味付けは薄味である。
幼い頃からある事情で、薄い味付けにならざるを得なかったおかけで、私の舌は明敏になったようだ。
また、子供の頃からすっぱいものと、苦いものも食べる習慣があった。
この経験がないと味覚は育たないらしく、甘いもの・辛いものだけでは不十分なのだ。
加えて、所謂「げてもの」も問題ない。おかげで留学中にも色々な国の料理を楽しむことが出来た。
ふと自分を振り返ると「まずいもの」の定義が良くわかっていない。
回りを見渡すと、人がまずいというものには幾通りかあって、ひとつは「食べなれていないもの」だ。
舌が発達した後、新しい味を自分のものとするのは人には難しい事らしい。私には未知の味をまずいと感じることが無いのでこれには当てはまらない。
次に、「過去にいやな経験をした食べ物」。よく小さいときに腐ったものを食べたりするとそれ以来その食べ物が苦手になる。ということがあるが、私にはこうした過去は無い。
次に、古くなったもの。なるほど、腐敗して可食物では無くなったものは、健康上の理由であまり口にしたくないが、加工の手段として発酵させたものであれば大丈夫である。
それに「新鮮だからおいしい」は、ものによる。同様に「天然だからおいしい」もものによる。
あとは、味ではないが食感がよくないものだろうか。ぶにぶにしていたり、かちこちだったり、ゴムみたいだったりするときにまずいと表現されることはよくあるが、それはそういうものとしてしかたが無いと思う。
ただ、飲み込めないものは苦手かもしれない。噛み切れない上にバカでかいもの。そう、たとえば巨大なこてっちゃんなんかは得意とはいえない。
同様に、「うまいもの」の定義も実は良くわかっていないが、これは悩む必要が無い。
食べながら幸せであれば、それはうまいものである。
らーめんやの親父の執念や、身内の愛情がこもっていれば、単純な食材や味付けでも至高の料理となろう。
ただ記憶に残るほどシンプルに旨い味付けというものも、今までに経験したことがある。
そして、それは私の舌の経験値として次の「旨いもの」を探す力となってくれることだろう。