日向 正嗣
HYUGA MASATSUGU
代表取締役社長
当社の理念「つなげたいのは、気持ちです。」は、当社のお仕事に関わる、お取引先様、メーカー様、エンドユーザーの皆様、協力会社の方々、そして従業員とその家族、すべての人たちとの絆を大切にし、気持ちをつなげるビジネスをしたいという想いが形になったものです。
当社が創業した当時、まだこの業界では「顧客満足度」のような指標すら珍しく、職人肌で、機器の設定やメンテナンスだけをしっかり行えば良いという考えのカスタマーエンジニアがたくさんいました。取引先や仲間内でも関係は希薄で、保身的、そしてビジネスライク。そんな会社がほとんどでした。
当社トライアンフでは、お客様はもちろん、共に働く仲間のことも思いやり、サービス品質にプライドを持った集団でありたい。全方位的に「優しさ」をもったサービサーでありたいと考えています。
当社は、お客様に寄り添い、社員に寄り添い、関係してくれている全員に感謝の気持ちを大切にできる、そんなエンジニア集団です。技術はもちろん大切ですし、企業にとっては業績も欠かせません。しかし、我々の会社が一番大切にしていることは、人とのつながり、いい人であること、そして優しさです。
我々がつなげたいのはIT機器でもネットワークでもありません。つなげたいのは、気持ちです。
愛知県の東郷町、名古屋と豊田の間にあるこの町で生まれ育ちました。小中学校は地元の公立校に通っていましたね。
小さい頃はサッカーや野球に熱中し、中学の部活動ではバスケットボール部に所属していました。パソコンとの出会いは小学校の頃。PC98などが流行っていた時期に、三菱のMSXという汎用機を買ってもらい、父と一緒にパソコン雑誌を読みながらプログラムを組んでいました。特に思い出深いのは、1年ほどかけて「ドラクエ」の戦闘シーンを再現するゲームプログラムを作ったことです。もちろん、ファミコンなどのゲームも大好きで、「ドラクエ」のようなRPGや「三国志」のような戦略シミュレーションゲームには夢中になりましたね。
休日にはボーイスカウトの活動に参加し、学校では児童会や生徒会にも所属していました。好奇心旺盛で、「みんなで何かのプロジェクトを進めること」がとにかく好きでした。
家族は姉が一人います。父は建築系の大手企業で働き、母は地元の親族が経営する建築会社で事務をしていました。今でも地元に住んでいます。大学から就職の頃までは全国を飛び回っており、なかなか会う機会も少なかったのですが、会社を創業してからは近くにいることもあり、姉夫婦も含めてよく会いに行っています。少しは親孝行できているなと感じています。
高校は私立愛知高校に通っていました。現在は共学ですが、当時は男子校の進学校でした。マンモス校で、私は推薦で普通科に入学し、2年時に特進クラスへ進んで、それなりに勉強に取り組んでいました。もともと地元の小中学校はのんびりしていて、高校時代に「自分の学力はそこまで高くないんじゃないか」と気づいたんです。
高校時代は美術部に入っていて、絵は苦手でしたが、陶芸などは好きでした。クイズも好きで、高校生クイズなどにも出場しましたね。その頃、「ウルトラクイズ」で立命館大学のクイズサークル「RUQS」の長門勇人氏や永田喜彰氏らが優勝していたこともあり、立命館大学を第一志望にしていました。
そんな理由で立命館大学経済学部に入学したのですが、大学でハマったのは「マジック」と「モノポリー」です。マジックは、留学中にハリウッドにある社交場「マジックキャッスル」でマジシャンメンバーとして腕を磨きました。モノポリーはその後も趣味として続け、2020年度には日本選手権を制し、日本チャンピオンになることができました。
留学は、3年生が終わる頃に、親から「学生時代にやり残したことはあるか?」と聞かれ、「留学したかったな」と話したところ、「今から行ってきたらいいじゃないか」と背中を押してもらい、2年間アメリカ・ロサンゼルスに行ってきました。語学学校からコミュニティカレッジ、そしてDeVry大学への編入を試みたのですが、全然ついていけず、卒業せずに戻ってきています。遊びまわっていた大学時代でしたが、人間的には一番成長した期間だったと思います。
留学から戻ってきて就職活動をした時期は、ちょうど「リクナビ」が登場した頃でしたね。留学前にも一度就職活動をしていたのですが、その頃はまだ大量のはがきでオファーが届く時代で、ちょうど時代の入れ替わり期に就職活動を経験できたのは、今、会社を経営する立場として採用に関わる上でも、とても良い経験だったと感じています。
大学時代から証券投資に強い関心があり、最初は証券会社の営業担当者を通じて取引していました。その後、自分でパソコンを並べてオンライン取引を行うようになり、いわゆるデイトレードの黎明期を経験しました。就職活動の時には、ITと証券を軸に企業を回っていましたが、「これからオンライントレードを作りたい、力を入れたい」と話していた役員の方がいた証券会社があり、就職氷河期で何十社も選考落ちする中、内定をいただくことができました。本当に嬉しかったことを覚えています。
新卒で入社したのは、コスモ証券(現・岩井コスモ証券)という会社でした。最初の1年間は、研修も兼ねて全員が営業職を経験するという会社方針がありました。そんな中、私は社内ミドルウェアにある掲示板機能に、時間のある時にオンライントレードの可能性や事業としての魅力、業界動向などを調べて書き込んでいました。誰も書き込まない超過疎の掲示板でしたが、そういう場所こそ経営陣や企画・情報系の人たちが見ているものです。結果的に、入社からわずか3か月で希望部署に異動になりました。同期は全員が1年間営業を続けていましたが、何百人いようが、機会は自分で掴むものだと思います。
配属されたのはメディアマーケティング部。当時、オンライントレードはまだ独立した部署ではなく、ホームページなどの制作を担当していたマーケティング部門の業務の一部でした。私のマーケティングの知識は、そこで身につけたものです。ホームページの管理者も兼任していたため、その時代にPHPやMySQLを独学で覚えました。
当時、新進のネット証券が真新しいシステムで新しいオンライントレードの世界を切り開く中、私たちはボロボロの既存システムを抱え、表面だけを整えたトレードシステムを構築していました。スピード優先で機能を継ぎ足し、UIは正直いまひとつでしたが、一つひとつ手作りで作り上げていく感覚は本当に面白く、貴重な仕事体験でした。
コスモ証券の「ネットレ」は、システム的にはまだ発展途上でしたが、マーケティングの力で業界に燦然と爪痕を残しました。それが「月額定額制手数料」、今でいうサブスクモデルです。これは超面白い話なので、また機会があればぜひお話ししたいですね。
オンライントレードのビジネスが軌道に乗ってくると、社内でも当然注力されるようになりました。最若手だった私は、次第に本流から外れていくことになります。本部から現場へ、企画から運用責任者へと立場が変わっていったんです。投資信託の実装プロジェクトが完了した際に、自分の力をもっと発揮できる環境はどこだろうと考え、独立を選びました。
理念やビジョンはもちろん大切ですが、私にとっての創業は「自分の力を発揮して世に問いたい。好きな仲間を自分で選んで、一緒にチャレンジしたい。」それが当時の本音でしたし、原点でしたね。
「トライアンフ」は、マジック界の巨匠ダイ・バーノンの代表作の一つで、表裏バラバラに混ぜたはずのカードが、最後の一瞬で全て揃うというカードマジックです。学生時代にこのマジックを、ギミックのないレギュラートランプで見たときの衝撃は忘れられません。今でも大好きなマジックの一つですし、会社名を考えていた時も、第一候補はこの「トライアンフ」でした。よくバイクメーカー由来かと聞かれますが、マジック由来なんですよ。
私たちが創業する頃まで、多くのメーカーではカスタマーエンジニアが直接現場対応をしていました。しかし1990年代に入ると、アウトソーシングの波が押し寄せ、派遣の自由化も進みました。私たちが業界に参入していく頃には、昔ながらの職人気質のエンジニアに加え、新たに軽作業派遣の人たちが大量にキッティングやアフターサポートなど、カスタマーエンジニアの領域に入ってきていたのです。
特に気になったのは、現場での振る舞いや姿勢でした。職人気質の強い人も多く、現場での言葉遣いや対応があまりにもひどいケースもありました。「指示通り製品を納入したり、入れ替えたらそれでいい」という空気が蔓延し、もはやサービス業とは呼べない光景も少なくなかったのです。私は、そんな現場の空気がどうしても嫌でした。だからこそ、「全方位的にもう一歩寄り添った優しさ」と「サービス品質にかけるプライド」を大切にできる企業を創りたいと思ったんです。
この事業を通して実現したいことの一つは、カスタマーエンジニアという仕事のやりがいや意義を広めること。多くの新規参入者に、この仕事の楽しさや技術の面白さ、そしてコミュニティの広がりを伝えていけたら嬉しいですね。
カスタマーエンジニア、サービスエンジニアは、かつては「コストセンター」として捉えられていました。「サービスはただだから、企業としては手がかからない方が損がない」というような考え方が一般的だったんですね。
しかし、サブスクリプションモデルの広がりとともに、ソフトウェアやクラウドの仕組みが現実のビジネスに浸透する中で、「カスタマーサクセス」という考え方が定着してきました。これまでのように営業担当だけが顧客接点を持ち、売り切れば良いという発想から、すべての接点で満足度を高め、LTV(ライフタイムバリュー:顧客が取引を開始してから終了するまでの期間に企業にもたらす利益の総量)を伸ばしていくことが重要とされるようになったのです。その結果、私たちカスタマーエンジニアの価値は、ビジネスのど真ん中へと移動しました。
つまり、カスタマーエンジニアの本質は、技術や機器の扱いそのものではなく、エンドユーザーのビジネスの成功に寄り添い、満足度を高めていけるサービスを提供できるかどうかにあります。どんなに優れた製品やサービスであっても、それを届ける“人”がどうあるかによって、受け取る印象はまったく変わります。だからこそ、私たちは「人間力」を大切にしたい。誰に対しても丁寧で、誠実で、優しくある。それを貫くことで、信頼される会社になっていけると信じています。
私の趣味の一つに、モノポリーを始めとしたボードゲームがあります。ボードゲームは対人で行う遊びで、一定のルールのもと、何度でもチャレンジできます。その攻略法には多くの示唆があり、現実世界でも大いに活きてきます。
私は2020年度のモノポリー日本チャンプです。モノポリーというゲームは、不動産の売買を行い、自分の所有物件に家を建て、そこにライバルのプレイヤーが止まることによって収益を得ていくゲームです。物件の売買を行うときには、お互いのメリットを考え、フェアな取引を行う仲間でありながら、一方でお互いの物件に止まるたびに収入と支払いが発生する、つまり同時にライバルでもあります。
このゲームでは、序盤こそ一周回るたびに給料(サラリー)という定期収入が入りますが、それだけでは、いずれライバルの高額物件に支払いをすることになり、勝つことはできません。勝つためには、物件を揃えて家を建てるという「投資」を行う必要があります。そこにはタイミングがあり、相場があり、緻密な心理戦があり、交渉では信頼感が何より大切で、最後には運も絡みます。
モノポリーの日本選手権では、地方予選を勝ち抜き、全国大会に進みます。運だけではもちろん勝ち残れませんし、論理的な戦略だけでも日本一にはなれません。少しだけコツをお話しすると、交渉では「受け身」でいては勝ちきれないんです。まさに、現実社会に活きる要素が詰まった“趣味の宝庫”ですね。もちろん、ゴルフのようにお客様と直接コミュニケーションできる趣味も、とても良いと思いますよ。
私が最近の研修で話しているテーマがあります。それは、「ご機嫌であれ」ということです。
自分の「らしさ」は、やっぱりいつでもご機嫌でいることだと思っています。人間、いつだって良いことばかりではありませんし、仕事をしていると嫌なことや不愉快なこともありますよね。それでも、良いパフォーマンスで仕事をするにも、お客様や社員のみんなと円滑にコミュニケーションを取るにも、そして困難を軽々と乗り越えていくためにも、「ご機嫌でいること」はとても大切なんです。
ご機嫌な人のまわりには、良い人が集まりますし、信頼もされて、お客様からもさまざまな相談をしてもらえるようになります。正直に言うと、「ご機嫌でいること」は、上司や取引先に対しても、もはやマナーの一つなんじゃないかと思うんですよね。
もちろん、組織である以上、厳しく規律を守らせることや、そのための管理は必要です。でも、少なくともトップは明るく、いつもご機嫌でいなければならない。社員の人生を巻き込み、共に夢を追いかけている責任を持つ以上、そこは欠かせないと感じています。
ぜひみんなにも、働く上では「ご機嫌でいること」を大切にしてほしいと思います。
最近、世間でも「人的資本投資」という言葉を耳にするようになりました。「人への投資が、企業を成長させるうえで最も効率的だ」というのは、まさにその通りだと思います。だからこそ、私たちは「福利厚生」についても、投資という視点で捉えています。金融業界出身の私だからこそ、この視点を持つことに意味があるとも言えるでしょう。
福利厚生は、社員の立場から見れば、会社が生活を少しサポートしてくれる「良いもの」と感じるかもしれません。しかし、会社の立場から見れば、それは「使い道をある程度限定して、その人に付加できる予算」でもあります。
例えば、当社の奨学金支援制度は、「長く定着してくれる人ほど手厚くなる、それまでの教育に支払うコスト」のような設計になっています。長く定着してくれた社員には、最終的に専門学校や大学の教育資金を会社が負担する制度です。
また、「健康増進手当」は、健康を維持してもらい、長く高いパフォーマンスでいてもらうための投資と考えています。運動を生活に取り入れている人は、精神的にも肉体的にも安定していますからね。
「食事補助(チケットレストラン)」は、最低限の食費を支援する制度です。お金が厳しくなると食費を削ってしまう人も多いですが、それでは企業側も困ります。もちろん、資格手当は技術の向上に寄与しますし、iDeCo補助などの制度は、将来の資産形成に安心をもたらし、それがパフォーマンスにも大きく影響します。
もう一つ、「HFA(ハッピーファミリーアニバーサリー)」という福利厚生制度を紹介しましょう。これは、家族やパートナーの誕生日に会社からお肉やお酒などのプレゼントを贈り、お祝いしてもらうというものです。率直に言えば、家族や親しい人との人間関係こそが、最もパフォーマンスに影響しますからね。でも、親しい人にあまり「ありがとう」と言わない日本人、それではいけませんよね。
このように、もしこれらを単純に給与として支払ってしまえば、会社としての意思をそのお金に込めることはできません。しかし福利厚生は、まさに「人的資本への投資」です。だからこそ、当社では、よくある保養所のような施設を購入することも、カタログギフトのような制度を導入することもありません。それらでは、まったく投資にならないからです。
当社は20期に向けて年商10億円の達成に向かって歩んできました。実際の達成は21期になりましたが、その目標への道のりは簡単ではありませんでした。
これまで、社員が10人の頃に年商1億円を達成し、30人で3億円、50人で5億円と、社員1人あたりおおよそ1,000万円の売上を上げるビジネスモデルだと理解していました。であれば、年商10億円を目指すには社員を100人まで増やして運営すれば達成できるのではないか?そう仮説を立て、採用に力を注いできたのです。しかし、社員が100人を超え、110名、120名になっても年商10億円には届かず、そのとき初めて、生産性が落ちていることに気づきました。
今、会社経営の中で最も大きな壁だと感じているのは「人材」の問題です。世に言う「10億の壁」「100人の壁」は当社にも当てはまりました。ここから先は、社長が“エースで4番”のような形では伸びていかない。社長自身が育成・モチベートできる人数の限界を超えていくのです。プレイヤーや管理職を自分で育てるフェーズから、管理職が次の管理職を育て、社員がリーダーシップやキャリアを語るフェーズへと、組織を進化させていかなければなりません。
そうした取り組みを愚直に採り続け、ようやく10億円の壁を破りましたが、まだまだ幹部職の人材育成が順調なわけではありません。より大きなステップへと進むためには、人を惹きつけ、育て、事業を力強く推し進める人材を、これからさらに多く育てていかなければならないと感じています。
年商10億円を達成した今、次の10年をかけて年商100億円・純資産10億円を目指したいと考えています。この長期計画を、私は「プロジェクト・テンバガー」と呼んでいます。テンバガーとは証券用語で、“10倍になる株”を意味します。現在の年商10億円・純資産1億円から10倍を目指すという想いを込めて、そう名付けました。
私はよくこの業界のやりがいを語るときに、「GIGAスクールや病院でのマイナカードオンライン資格認証端末の導入作業など、新しい時代の社会実装の一端を担っている実感がある仕事です」と説明しています。ただ、そうした国家的な大プロジェクトは、全体の中で見れば、当社の担当範囲はまだ一部のエリアやボリュームに過ぎません。お客様である大手メーカーの方々とお話ししているとき、「俺たちがこの国家プロジェクトを推進したんだ」という誇りを持って語られる姿を見て、素直に羨ましく感じていました。しかし、改めて振り返ると、この10年で当社も全国に広がり、社員や協力関係者も大きく増えました。近い将来、私たちも「トライアンフさんがいてくれたからこそ実現した」と言っていただけるような存在になれる。そう信じています。その規模感こそが、年商100億円という目標なんです。
そんな会社を、一緒に創り上げ、夢を共有できる仲間をこれからも集めていきたいと思っています。
私が感じている社会課題の一つに、インフラエンジニアの圧倒的な不足があります。そもそもITエンジニア自体が少ない中で、情報系の大学や専門学校の学生はプログラムを履修し、大半がプログラマーやSEを目指します。就職先もITベンチャーやSIerが中心で、職種としてインフラエンジニアにはほとんど回ってきません。また、たとえ大手企業であっても、一般企業にエンジニアが就職することは少なく、これが企業のDX化やAI化が進まない根本的な原因の一つになっていると感じています。
さらに言えば、私たちの業界は特に排他的で、「人を育てる」という意識がまるでありません。自社内では教育をしていても、サプライチェーン全体で見れば、今でもほとんど何も学んでいません。それどころか、「20代で業界経験10年」といった、あり得ない人材要件を平気で求めてくるケースすらあります。
AIがコーディングやデバッグなどを行う中で、IT業界内でのプログラマーの価値は、AIを駆使できる超効率的で、要件定義から実装まで一人でできる一部に仕事が集中しつつあります。一方で、カスタマーエンジニアはロボットに置き換えられない柔軟さが求められ、対人的なホスピタリティを発揮する「カスタマーサクセス」の中心的な存在になっています。IT技術者が十分に育っていない一般企業の中で、高度な情報インフラを支えるカスタマーエンジニアの役割は、ますます大きくなっているのです。
また、お客様がマネジメントに特化しすぎて、現場を知らないということも往々にしてありますし、私たちのような中堅のITインフラ企業はM&Aの対象になりやすく、現場を全く知らない社長も増え続けています。
だからこそ、当社は現場を大切にし、「プロとしてのサービス品質にプライド」を持ち、お客様はもちろん、サプライチェーンも含め、人を育て続ける「全方位的な優しさ」を持ったビジネスを展開し続ける会社でありたいと思っています。
私が経営をするうえで絶対に譲れないことは、「〇〇至上主義」の否定です。証券会社時代は「営業至上主義」で、営業職の人たちは事あるごとにバックオフィスや本部に対し、「俺たちが食わせているんだ」と話していました。私たちの業界で言えば、「エンジニアの自分の現場至上主義」がそれに当たります。
カスタマーエンジニアの仕事には、条件の良い案件も悪い案件も、さまざまなエリアや難易度のものがあります。条件の悪い仕事を愚直に頑張った結果が評価されて、大きな全国案件につながることもあります。逆に、目の前の好条件の案件は、営業が努力して獲得した案件かもしれませんし、先輩が高評価を得てきた積み重ねの結果かもしれません。
そんな中で、もしエンジニア一人ひとりが「この案件ではこれだけの金額をいただいているのだから、自分の給料もこれくらいはもらうべきだ」と言い出したら、サポートサービスを行う会社は成り立ちません。当社は透明性の高い会社ですし、派遣法による中間マージン開示などの影響で、そうした「俺様エンジニア」を生み出す風潮が広がっているのも事実です。「エンジニアへの還元」を売りにする会社もありますが、私はそこに危うさを感じています。
また、「この金額の受注なら、この程度のサービスで十分」という価値観も、私が最も嫌う考え方です。サービス業とは、お客様にファンになっていただき、心を動かしてもらうために存在する仕事です。感動を生むサービスを提供するには、「期待を超えたい」というサービサーの心が大前提にあるべきだと思っています。
そのため、私は社員、サービサー一人ひとりの「あり方」を重要な評価基準の一つにしています。Well-beingと呼ばれるもので、善良で健全で、社会貢献的な意識が高く、肉体的にも精神的にも健康でポジティブであること。そうした部分を重視しています。
この先の事業の拡大についても、「いい人」をいっぱい集める会社でありたいと思います。
トライアンフで活躍しているのは、「トライアンフが好き。仲間が好き。お客様が好き。」と胸を張って言える人です。
私は採用基準を話す時に「活躍軸と定着軸の両軸で見ています」と伝えています。活躍し、定着する人というのは、何と言っても当社のことが好きな人なんです。ですので、評価基準の中で最も大切にしているのが「エンゲージメント」です。
また、スキルや成果よりも、「人としてどうあるか」という「ウェルビーイング」を大切にしていることも当社の特徴です。誰かが困っていたら自然と手を差し伸べてしまう。そんな「善性」の高い人、それこそが私たちが一緒に働きたい仲間のあり方だと思っています。
もちろん、「コミットメント」の高さも重視しています。会社として、スキルの底上げを図りたい、健康経営に取り組みたい、取引先との関係をより深める場を作っていきたい、といった目標が掲げられた時に、「日々の自分の現場が忙しいから…」と取り組まない人よりも、一緒に会社の目標を実現していこうという人を応援していく会社です。
働くということは、何かを我慢して犠牲にすることではないと私は考えています。これまで大切にしてきた友人や家族、趣味など、自分らしくプライベートも大切にしながら、人生の大切な時間を当社の仲間やお客様と過ごしてもらえると嬉しいです。
これを読んでくださった皆さんと一緒に働けることを、心から楽しみにしています。
「労働者派遣事業(派23-300590)」 許可取得
「有料職業紹介(23-ユ-300417)」 許可取得
「古物商(愛知公安委員会第 541161106100号)」許可
「軽貨物事業者運送事業(愛運輸 14144号)」登録