2005年4月7日

《自分史を語ろう。中学校編。》

春木中学は、私の母校「春木台小学校」とお隣の「音貝小学校」がくっつく。
中学に上がり、音貝からきたH氏と知り合う。私の中学時代はなんと云っても彼の影響が大きいだろう。
彼が私に持ち込んだ文化はズバリ「クイズ」と「パソコン」である。
そもそも、私が立命館を志したのがウルトラクイズで大活躍した長戸や能勢がRUQS(立命館大学クイズソサエティ)出身であったからである。
この頃は、クイズブームで各局クイズ番組が大爆発していた。雑学を集める習性はこの頃身についていったのだろう。
パソコンについては、ゲーム歴共に振り返ろう。
初めて買ったゲーム機は、セガの何かだったと思う。小学・・2年生あたりの時である。
程なくして任天堂からファミコンが登場することになるのだが、セガが壊れて動かなくなった後、なぜかMSXを買った。
つまり、これがパソコン歴の始まりである。恐らく確か、ゲーム機として買ったのだ。
今となってはあまり思い出せないのだが、カートリッジのカセットのほかに、普通のテープレコーダでロードするタイプのゲームもやっていたと思う。
「ピーピーガーッ!」と音がして、ロードに30分くらいかかるやつ。
自分でもベーマガを見て入力をしていたりしたが、プログラム知識は表面だけであった。
中学に入り、H氏がドラクエの戦闘シーンもどきを作っているのを見て、触発されウィザードリィもどきのゲームや三国志もどきのゲームを創る。
これが本格的にプログラムを組んだ最初になった。
生徒会もやった。それなりに忙しかったのだが、大きなイベントとしては二つ覚えている。
一つは雲仙普賢岳の噴火に対して募金を集めて送ったこと。何気に提案して始まったのだが、取材がきたり表彰されたりでえらい騒ぎに発展していた。
もう一つは、頭髪規制の撤廃。丸坊主だったのをやめた。これは時代の流れに乗ったのだが、実現まではそれはもう大変だった。
思えば、この中学までの期間で、自分というものの素地は殆ど出来上がっている。
一気に書いたが、中学時代と大学時代は書こうと思えばいくらでも書ける。重要なターニングポイントになっている。