お疲れ様です。日向です。
新年度も始まりまして、何か記事書きたいなと思っていたのですが、朝聞いていたポットキャストでプレジデントオンラインの古文について流れていたので、その話題で書きます!
実はちょっと前に、その記事自体読んでいたんですよね。で、「頭のいい親の返答フレーズ3パターン」が、正直あまりにも酷くて、ヒドすぎて記憶に残っていたところ、それが音声版でもピックアップされたので、このもどかしい思いを誰かに伝えたくなっちゃって。

まず第一に、この吉野敬介さん。私は結構嫌いじゃないというか、古文の指導者としては好きな人なんです。でも、この記事はないわー。古文を勉強する意義を第一人者ならちゃんと語ってよ。
「代わりに何を学ぶの」「入試にでるからやれ」「やりたく無けりゃ慶応受けろ」って。もぅ、答えがひどくて泣けてくる。そんな為に子供の貴重な時間を使っているわけじゃないでしょうっ。


古文を学ぶってことは、日本の歴史が学べるようになるって事です。賢者は歴史に学ぶんだよ。自分がどのジャンルの仕事をするにしても、芸能に興味を持つとしても、そのルーツや過去の事を知りたくなるよね。その時の資料にリーチできて、その時代の感じ方、文化、蓄積された技術に触れることができるんだよ。それってとても偉大で価値があることだ。中国なんて、漢字が膨大で学ぶ時間が惜しいからって超絶簡素化したら、若手が昔の資料全然読めなくなっちゃったりして一般の人たちが歴史にリーチできなくなっちゃってる。
世界の地理や歴史を学び、旅行したり留学したり生活したりすると、外側から日本を見ることが出来たり、為替を通してお金や資産の価値が脈々と動いていることを実感できるよね。「広がり」から、自分たちのアイデンティティを再確認できるってやつ。これは自分とか国家を認識するうえでホント一皮むけると思う。
日本史や古文を学ぶのは、「深さ」だ。歴史の深度からやっぱり自分とか国家とかを再認識して一皮むける。自分の取り組んでいる仕事や遊び、スポーツ等のルーツを知り、技術を知り、自分が新たに積み上げる価値を知る。そういう事だ。

まぁそれはそれとして、「代わりに何をやるの?」の中で、「金融」ってのが、まるで意味が無くて、やらない奴はそれもやらないんでしょ?みたいなトーンで書かれている。古文辞めて金融に入れ替えるのは、私もどうかと思うけど、古文を減らして金融をもう少し教えるのは、大賛成だ。
ついでに言えば、四書五経をやれとは言わないけど、入門の「大学」くらいは読んで、何のために学ぶのか、学ぶってどういうことか、その価値は何なのか?という事を、学ぶ本人である子供たちが自分の中で意味づけできていると良いと思う。儒教のすべてが良いとは全然思わないけど、教育における動機付けが弱いと、俺ってば何してるんだろー。べんきょーきらーい。ってなっちゃう。少なくとも教育者は「入試に出るからやれ」なんて言っちゃダメだし、頭のいい親どころか、その返答、愚の骨頂でしょう。

プレジデントオンライン:わが子に「なぜ古文を勉強しないといけないのか」と問われた時の頭のいい親の”返答フレーズ”3パターン