2007年11月18日

バングラデシュ

バングラデシュに巨大なサイクロンが上陸して、大変なことになっている。
日経ネットの記事
最近、ベンチャーの中で注目されている企業で、「マザーハウス」というフェアトレードの会社がある。
創業者の山口さんはユニークな経歴もさることながら、その情熱や真っ直ぐな気持ちがホームページから伝わってきて、誰もが応援したくなるようなタイプの起業家だと思う。
バングラデシュという国自体、私はこれまで殆ど縁もない国であったが、彼女たちのフェアトレードをめぐる奮闘をブログで読んでいるうちになんとなく身近な国という気がしていた。
そこにこのニュース。
社長日記の最近のエントリに今回のサイクロンの記事がある。
客観的なニュースでは感じきれない生々しい惨状。
こんな逆境状況にあっても、あくまで前向きで折れない心。
災害にあわれた現地の方々の冥福を祈り、自分が生きている事の意義を考える。自分にできることを考える。
私も一日一日、もっともっと頑張っていこう。

2007年11月18日

《増員方針》

一過性のものももちろんあるけれど、仕事量はある程度取れるようになってきている。
もちろん月によって上手く人員配置できなかったりすることもあるが、総じて人手不足感がある。もちろん固定費を増やす事のリスクは回避する事も必要だと思う。これまでも同業企業とのアライアンスを強化してきたし、これからもますます企業間連携の重要さは増すと思う。
しかし根本の基盤は社内の人員増強に力を入れてこそ築かれる。
ここはきちんと採る。そういうステージにあると思う。

小学生の頃、通知表に
「基本的な生活習慣」
という項目があった。
いつも評価は低かった。
今になっても当時からそれ程資質として変化があったわけではなく、
曰く、
・PCのデスクトップには色んなファイルが無造作にはりついている。
・パソコンのスタンバイにして電源は切らない。
・机の上の整理ができていない。
・メールやファイルはサブフォルダに分類して整理したりせず一つのフォルダで雑多においてある。
・自分のスケジュールは原則フリーにしてアポはできるだけ入れない。
・目標を紙に書いて読み上げたりもしない。
このあたりは今も昔もまったく変化がない。
そんな事をいうと、しっかり派からは「仕事ができない」と思われがちだ。巷では、貴方は○○時間探し物に時間を食われている・・なんて声高に叫んで整理整頓の重要性を説いて回る。
しかし、私の本音では、ぐちゃぐちゃに見えても大切なものがどこにあるかは大体わかっているし、データ化されているものなら大分前から分類から検索にシフトしたし、時間や場所やアナログや約束に縛られれば縛られるほど能率もサービスも落ちると思っている。
利便性とセキュリティや独自ルール等になれば、みんなも理解しやすいと思うけれど、セキュリティを強化したためにメールが使えない、インターネットが見れない、等異常に利便性を落とした企業は山のようにある。本来セキュリティやルールは最低限整備して後はモラルを向上させることで利便性を落とさないようにするべきだ。組織員のモラルをまったく信じていないため利便性をまったく無視した措置をとることになる。
枠を広げて、しっかり整理整頓と利便性も同じようなものだと思う。
自分が最低限きちんと処理できれば、オールクリーンである必要は無い。
きちんと整理するには労力がいる。労力はコストだ。また整頓されたものをきれいなまま使用し続けるのにはもっと労力が要る。ちょっと探せば良いところを全く探さずに使用するという目的のために、膨大な時間をかけて整理する。整理し続ける。このコストを意識しないのは明らかに変だ。
社内の共有財を誰でも使えるように取り決めをすることは大切だし、運用は便利であるべきだと思う。しかしそのために度を越したキッチリ化コストを負担するのは正しい姿といえないのではないか。
社会が潔癖になりすぎて、パソコンは使わないことが至上だ・モノはゼロが美しいと言い出したら、実は企業も人も生きていけない。
曖昧なことも寛容なことも仕事をする時には大切な要素なのだ。

2007年11月6日

社長室

今日仕事をしている中でお客さんがNOVAの社長室の話をしていた。
管財人が会社私物化の社長室を象徴として公開したということなのだが、ニュースで見る機会がなかったので、ちょっと調べてみた。
なるほど、確かに豪華な社長室だけれど日本のトップ企業の社長室としてみればそれほど違和感のあるものだろうか?
こういうものに憧れてリスクをとってきた経営者もそれはそれで正しいモチベーションのあり方だと思うし、もしきちんと会社の利益を上げてきてお客さんも社員も満足している企業のトップであったとしても清貧でなければならないものだろうか。
起業家という人達は、「社会に対して大いに貢献したい」という気持ちをもちろん強く持っているだろう。
しかし、個人的な野心もあって良いのではないか。
自分を振り返ってみても、創業して一年は全く役員報酬を会社からもらわず貯金を食いつぶしながら会社に増資してきたし、今でも会社の借金の連帯保証人にもなっている。
大きいリスクをとってチャレンジする創業者が成功を収めた状態まで純然たるボランティアや正義感だけで経営しなければならないとしたら、この国のベンチャーの芽は絶対に育たないだろう。私自身だってリスクに対してリターンがフェアに見込めないならどれだけ正義に基づくビジネスだとしてもチャレンジしようと思わない。
現在のNovaの社長室の一点だけで「豪華すぎる社長室」と非難するのはどうもいただけない感じがする。
社長の価値観というのは当然さまざまだと思うし、会社の価値観もそれぞれだと思う。どこまでを会社のお金でやるのか、個人のお金だったら何をやってもいいのか、と考え出したら配当や報酬も含めて、立場によっていろんな考えがあるだろう。
一代でとんでもなく成長する会社のトップであれば、とんでもなく貪欲であったとしてもそれ程不思議ではないと思う。
またディフェンスを考えるタイプの経営者なら存亡を賭けた大きな博打を何度も打てないだろうからやはり想像以上の成長というのもありえない。
つまり、大きな買い物や大きな投資ができないようなタイプの人では大きく成長もできないし、大博打を打つ人でなければ想像の域を超えたビジネスチャンスは掴めない。
だからあの社長室をみて豪華すぎると感じる人は、リスクに対して感度の薄い人だろうし、利益の分配の仕方を少し変えて私費でやればよかったのにと感じた人は、バランスの取れた普通の人なんだろう。
普通の人は普通で良いと思うけれど、チャレンジする人に寛大な社会であってほしいと思う。
少なくとも忙しくなると会社のソファーベットで寝ている私からみたら、寝室やサウナはうらやましいし、24時間働きまくる事を考えると社長室にそういった設備があっても私的利用にはあまりあたらないような気がする。

2007年11月4日

担当者交代

昇進したり、転勤したり、転職したり、なんとなく山に帰りたくなったり。
親しく付き合ってきた担当者が変わってしまうのは残念だけど避けられないことだ。担当が代わる時には、今までの担当者から新しい担当者に、これまでの取引やサービスなどの引継ぎを行い、最後に当社まで担当変更の挨拶にやってくる。
しかしながら、クローズした商品やサービスの結果だけではなくて、その過程で決めていたことや細部までは当然完璧には引き継げるはずも無く、自分が忘れてしまったら「アレ、どんなふうだったっけ?」というちょっとしたことを気軽に聞ける引き出しがなくなってしまう。
業務の大切なバックアップが一つ無くなる感覚。これはちょっとした喪失感だ。
自分の会社の事情等も時間をかけてゆっくり伝えていって、ようやく阿吽の呼吸でニーズを引き出してもらえるようになったときに、新しい担当者になればまた初めから教えていかなければならなくなる。自社用担当者として育成してきた時間がゼロに戻されてしまう感覚。これも結構ズシっとくるものだ。
残念なことは残念だけど、それは企業間取引での宿命みたいなもの。
どうせ担当者がリフレッシュしてしまうならこちらもあわせて新規に担当者を変えてしまうといいかもしれない。これまでとは違う視点での取引も必要だと思うし、こちら側の担当者としても、自分の担当さんとはやはり最初から付き合いたいと思うものだから。
しかし。こんな半端な時期なのに、担当者の交代が続く。不思議だ。