2007年3月27日

起業当初

起業当初の話はみっともないからあまり書きたくないのだけど、多分そこがこれから会社を興そうと考えている人にとっては大事なんだろうから書こうと思う。
会社を創るのは簡単で、維持して成長させていくのが難しい、ってのはよく聞く話だけど、本当だと思う。起業家のきっかけなんて、つきつめていけばわりとカルいケースが殆どだ。崇高な目的や理念というものは、社長として成長していく中で会社と共に磨かれていく。私もそんなパターンだ。
前の会社を辞めた時、資本金規制の撤廃が始まりだしていて1円からでも法人ができる社会体制が出来ていた。私はとりあえず、100万円で有限会社を作ることにした。自分で手続きする事も多分出来たと思うけれど、ココで苦戦すると起業のヤル気も削げる気がしたので素直に専門家に任せる事にした。それでも私側で決める事も多くて初回取引という事で打ち合わせも何度かに渡り多少の敷居の高さを感じたのは確かだと思う。
今思えばそれも正解で、以降の組織変更や増資、一般派遣の許可取得と業務が多忙になってからの依頼では担当者さんとの信頼関係も深まっているのですんなりといった。
さて、会社というハコはできた。
問題は何をするか?だ。
最初に考えていたのはインターネットを使った家庭教師派遣。これは問い合わせばかり多くてお金にならず、収益モデルとして確立し切れなかった。きっともっと上手なやり方があったと思うし、今ならもう少し何とかできるかもしれない。何件かクレームを抱え、実際に全国謝罪行脚が終わる頃、このビジネスは辞めようと思った。
以降、ホームページの作成や証券投資のアドバイスなど、ぽつりぽつりとくる商談をこなしながらピンとくるものは無く、食べていくためにアルバイトをしたり派遣会社に登録してその日暮らしの生活を送った。
外国から出稼ぎに来ている人たちと一緒に携帯電話の組立ラインに入ったり、引越し屋の荷台に荷物と一緒に積み込まれて遠征したり、何日も家に篭ってゲームしたり。今思うと思考停止していたし、いつも何か漠然とした不安と戦っていた日々だったと思う。
あるとき、同窓会の誘いが来た。
私はかつて共に遊び・学び・戦った友人達と共に飲んで語らうのが何よりも好きだ。しかし、その時はあまりにも堕ちた自分をかつての仲間達に見せるのはあまりにつらい心境だった。
環境は変わった。自分自身が変えた。
だけど、自分は変わったのかな。このまま日暮ですごすのかな。
名刺をはじめて作ったときはあれ程誇らしいと思った「代表取締役社長」の肩書きを人に見せるのが、どうにもならないほど恥ずかしいと思った時代だった。
(つづく)