2005年2月7日

《偏差値55の「できる」》

大学時代の友人から見れば非常に今更なことになるだろうが、私は相当な自信家である。
人のやっている事の殆どは自分にも出来ると思っているし、無人島に流されても生き抜いていけると思っているし、抑圧された戦時下であれば迷うことなく銃を取って革命家となるだろう。遊びも知識も広く浅く。「できるか」と問われれば、まず「できる」と答える。
さて、ここまで云ってしまえば、どんな分野にも造詣の深いマルチスペシャリストのイメージを抱かれるかもしれない。だがそれは違う。その道のスペシャリストから見れば私の技や知識などおしなべて、所詮は初級卒業レベル。だが世間が求めるレベルはこれでいいのだ。
起業の採用条件を見ても、クライアントから作業手配を頼まれても、求められる技術欄には誰もこなしえないようなハイスキル項目が並ぶ。涼しい顔で私は応える。「えぇ。可能です。」あとはいくぜいくぜで一直線。実際はやってやれない仕事などない。
ここまでは、私を構成する基本であり、本質は変わらないでいる。起業して何が変わったのか。責任者としての思慮であったり、戦略であったり、あるいは腰の低い対応であったり、礼儀正しさであったりするかもしれない。最近再三話題に出す「柔らかさ」「優しさ」といったもの。そういったものに圭角を包んでいけたらと思っている。表面は物腰低く柔らかく、芯は強気で自信家で。
「瓦の上にまかれても、芽を出し花を咲かせる自信がある。」