インターネット広告といえば、少し前までウェブ上のポップアップかランダムに送られてくる迷惑メールかで、どちらにしても迷惑な代物であった。
各種アフェリエートが出来て手段は多様化したとはいえ現在でもユーザのためにならない広告手段というものは増え続けている。
「役に立つインターネット広告」とは、今のところ検索エンジンについているスポンサー枠くらいなものではないだろうか。
そもそも、無料・破格を売り物にしたインターネット上では、有料の仕掛けというものは難しい。
インターネットがでたての頃では、ユーザの母集団が少なくてオンラインショップなどはまったく収益に結びつかなかったし、今から出遅れて参入してもよほどのウリが無ければ成功は難しいといえる。
後からの参入が難しい主因は、広告がうまく機能していないからだろう。
スポンサーは思うような効果を挙げられず、消費者は迷惑に感じている。
一方、テレビのコマーシャルは本当に良く出来ている。コンテンツのつなぎ目に息抜きとして機能しているし、広告自体が面白い。
成熟した広告の優しさを感じさせる。ウェブ広告も形はどうであれ、少なくとも消費者に優しい存在にならなければならないだろう。

2005年4月2日

《スパイウェア》

コンピュータウィルスの存在は、広くお年寄りにまで浸透したのだが、スパイウェアとなるとまだまだ20代、30代といったコアな一般ユーザでさえ知らないケースが多い。
スパイウェア、アドウェアなどと呼ばれるこれらのソフトウェアは、ユーザの隙を突いてパソコンにインストールされ、その会社の広告をポップアップで表示させたり、ID、パス、メールアカウント等の個人情報を会社に送り返したりする。
厄介なのは、特定のウェブサイトを閲覧しただけでインストールされてしまうということだろう。
そして、アンチウイルス用のソフトだけではもれて進入してきてしまうということも挙げられる。
最近では、スパイウェアはウィルスを上回る脅威となってきている。
なぜなら、スパイウェアには利益の実現という目的とベンチャーキャピタルという後ろ盾があり、ウィルスよりも作成が容易かつ高度化が可能だからだ。
すでに、アンチスパイウェアソフトでも対応としては十分ではなく、ゲートウェイ型でのチェックが不可欠という。
個人でココまでの対応はマニアしか出来ないし、企業としても対策コストが急上昇してしまうだろう。
携帯にさえウィルスが登場してきた昨今、個人情報の防御はますます身近な問題となるだろう。

2005年4月1日

《成りあがり》

世間では、特にお金持ちの世界では「成りあがり」でセレブになった人は最初からセレブに生まれた人よりも一段下に見られる。
上流社会のソサエティなどはまさにその典型で、生まれや交友関係などを重視しているのだが、私はこうした考え方を心底軽蔑している。
お金を自ら稼ぎ出した人間と、最初から持っていた人間の価値を比較してどちらが上かと聞かれれば稼ぎ出した人間に決まっている。
そもそも会社、法人というものを息子が二代目で引き継ぐという考え方が法人の存在意義から考えれば不自然であるし、親が築きあげた地盤で恥ずかしげも無く生きているのは自立・自尊の精神に欠けていて一人前ととてもいえない。
一方成り上がった人は、本当にドロにまみれて築き上げた自分の居場所であり、勝ち取った報酬であり、心底惚れる人の生き様がそこにはある。
大切なのは、上流にはびこるそこでしか通用しない常識やマナーなのではなく、刻み込まれた男のしわであったり、ささくれた指であったり、そうしたものの上に立つ成功であろう。
私にとってはいつであろうと「成り上がり」こそ、尊敬すべき金持ちである。

2005年3月31日

《報・連・相》

ホウレンソウは、社会人としての基礎能力のひとつとして挙げられるのだが、当社、というよりもうちの業界ではちょっと異なる。
ひとつは階層が複雑で誰にどこまで何を報告・相談できるかを見極める必要があり、もうひとつは一定の範囲では自己完結能力を求められるということである。
仕事にトラブルは付き物で、解決のためにはなるべく中間に人を通さないで直接担当者に聞いて正確な情報を手に入れる必要がある。
一方、些細なことを直接のクライアントを飛ばして、元請に尋ねたためにクライアントに迷惑がかかるということも頻繁に起こりうる。
ヘルプデスクが設定されている場合であれば問題はないのだが、そうでない場合はどうするか。
基本は近いところから、つまりうちのスタッフであれば私から聞いていけば間違いないが、当社とじかに取引している会社までは信頼関係ができているので相談可である。
私に上がってくるのは事後でもかまわない。
基本はミスったときの対応だけだ。ミスはしてもかまわない。現場を知らないクライアントが目くじらを立てる場合もあるが当社の評判等を気にして抱え込む必要は全然無い。
トラブルのフォローをするために会社はあるのだし、中間に位置する会社もマージンを抜いているのだ。
大丈夫。責任は会社が持つ。失敗しても良いから思いっきり仕事してほしい。

2005年3月30日

《肉体的ハンデ》

私や当社にとって、スタッフが病気や怪我などのハンデキャップを背負っていることは消してマイナス材料とは考えていない。
ハンデキャップなどは、その人の一個性という以上の意味などは存在しないと思っている。
病気自慢をするつもりはさらさらないのだが、私自身去年から「バセドウ病」という奇病にかかっている。
病気の説明は次のサイトに譲るとして「http://www.hahoo.jp/~koujyousen/basedou/p1.htm」現在は薬で抑えているので通常の生活には支障が無い。
去年の今頃、発病当時は病院でもなんの病気か原因がわからず、立てなくなったり、激ヤセしたりしていたので、その頃の私を見ている人であれば思い当たる事もあると思う。
その頃から、まわりのスタッフには非常に助けられているのだが、「会社に迷惑をかけている」とは思わないようにしている。
病気や怪我、あるいは出産などで一時戦線を離れることがあったとしても、それをカバーできるのが会社組織というものであるだろうし、構成員が五体満足で100%何時でも会社のために尽くすような前提では、むしろ社会正義に反しているだろう。
私は小さい頃から「皆勤賞」を学校が薦めているのに反対だった。病気であれば治せば良いし、感染するものであれば、むしろ休ませるべきだ。
どうように会社がクライアントのためということで、構成員の体を壊すほど酷使するのは反対である。
経営者の責任感は、クライアントの要望を満たすためのみに発揮されるのではなく、会社を構成する全ての要素に配慮して発揮されるべきものであると考える。