2005年6月24日

《人材募集》

いよいよ第二期決算期である。
支えてくれたスタッフ、お客様、当社に関わっていただいた全ての方の尽力のおかげで、第一期とは比べ物にならないほどの売上、利益を確保することが出来た。
期末は、利益分の調整時期でもある。日頃お世話になっているスタッフに還元してもいいし、そのまま利益として積み上げ、きっちり税金を払うことで金融機関からの借入をしやすくするのも一手である。
6月末が近づいて当社が選択した道は、「人材を確保する」という投資の道である。
当社の財産というのは、ヒトとカネに尽きる。普通の場合であればこれにモノが加わり、商品としての、あるいは設備としてのモノが財産の一翼を担うのであろうが、固定費を極限まで抑えて、かつ商品が無形のサービスである以上、モノが負担する部分もヒトが負担しなければならない。
つまり、当社の資金が赦す限り、優秀な人材を抱えることが、そのまま会社の売上、利益を増大させていくことになるのだ。
さて、今回は愛知県が中部国際空港・愛知万博という二大プロジェクトを掲げる手前、採用に関してはかなり難しい状況といえる。募集条件もできるだけ甘くして人を募った。
予想に反してかなりの大盛況であり、最近では面接で大忙しとなっている。
7月から仕事の依頼が増えていく中で、非常に心強い。
この「プレジデントルーム」も読んでいただける場合が多いだけに、率直な当社の求める人材像を述べたいと思う。
まず、礼儀。当社の場合、殆どがフィールドサービスであり現地で直接ユーザーと接触する仕事である。そこできちんとした顧客対応が出来なければ、受託したクライアントであるメーカーさんの悪評に直結してしまう。社会人としての振る舞いが理解できない人には、どれだけパソコンスキルが高くてもお仕事を任せることが出来ない。
次にやる気。当社ではできるだけスタッフには報酬を払うようにしている。時給制ではなく日給で1万円以上を支給し、交通費も可能な限り全額支給する。しかし当社の規模を理解してほしい。多くの大手派遣会社が同業で安さを売りにする中、けして当社だけ受注金額が高いわけではない。私達経営者がスタッフの視点でなるべく末端のスタッフに負担がかからないようにスタッフの視点で考えているのと同様に、スタッフ一人一人が会社の視点を持ってもらえることを望んでいる。
つまり最初からスーパースキルの即戦力を求めているわけではないにしても、いつまでも他のスタッフに頼らなければならない「成長する意思」の無い人を高給で抱えているわけにはいかないのだ。もちろん最初は先輩スタッフが全てを教えてくれるだろう。だが次は自分が教える立場に成長する事を我々は期待している事を理解してほしい。
そして最後にスキル。パソコンに関するスキルはゼロ以上であればかまわない。もちろんあるに越したことは無いが、重要であるのは「これから覚えるスキル」である。殆どの作業の前には研修があるし、無くても同行するスタッフやクライアントが教えてくれる。当社で必要な知識は、IPの設定やプリンタの設定程度の簡単なものだ。IP?設定?という方でも全く問題ない。一回やればすぐにわかる程度のものだからだ。
そして、当社の求める「スキル」とはパソコンに限ったものではない。モニタを箱からあけて運べるだけの体力があるか?遠くで交通機関が発達していないところにも積極的に行ってもらえるか?急な依頼や一定期間の案件など、柔軟に対応してもらえるか?
どれも必要なスキルである。つまり、「パソコンは全く知らないけれど、これから覚えます。どこでも行きます。いつでも行きます。」といった人間であれば全く問題ない。
逆に「パソコンスキルはプロフェッショナルです。名古屋市中区しか行きたくありません。15時以降は仕事できません。毎週水曜日だけ仕事できますか?」という方は、使いたいけれどどうにも使いようが無い、ということである。
しかし、それにしてもいい人材が沢山募集して来てくれた。期待してくれて応募してもらった気持ちに応えるためにも、いい人材の集まる、いい会社にしていこう。

2005年6月1日

大阪オフィス開設

大阪府大阪市中央区島之内1-13-28 ユラヌスビルにて大阪オフィス開設

2005年5月31日

《旅路》

4月からずっと、距離のある案件を請け続けてきた。
一つには、「機動力」というものが日向の、またトライアンフという会社自体の大きな存在価値であるということがある。もう一つには「全国展開」という野望の足がかりとするため。
中でも、大阪と東京には何度と無く出かけた。出来る限り自分の足で回ることを心がけた。
多くの人からアイデアや夢を分けてもらい、そのいくつかを実現するために走り回る。
5月の目的の一つは東京と大阪の拠点を作ることにある。
夢を現実の形にするために、足を掛けるべく方法を考える。
大阪は、今の仕事の延長上で捕らえるのが自然だ。取引業者のいくつかで関西を拠点にするものがあるし、前々から顔つなぎをしてきている。今回も可能な限り顔を出すようにした。
だからこそ、まず手がけるのは「関西」である。だからこそ、今回の当社の関西拠点は即決に近い状態で決めた。
一方「関東」はどうであろうか。
今回の遠征で、自分の証券時代の仲間達が未だに私に期待を寄せていてくれている事を知った。確かに「金融」は「情報」と同じように自分にとってはこだわりのあるものだ。前職の仲間と取引できる状況になれば、取引規模や利益はとても大きなものになるだろう。
多くの友人とあった。が、中でも師匠にあったのは自分にとって大きかった。師については以前このサイトでも取り上げたことがあったが、今もなおその熱い思いを失っていない。そして今もなお、私に大きな期待を寄せてくれている。
宿題をもらった。「証券仲介業」である。確かにうちの規模の会社で証券業に打って出る策はこれしかないと思う。もちろんアイデアを実現のところまで落とし込むには多くの難題があるわけだが、「攻め」に切り替える3期ならば行けるかもしれない。
いずれにしても、大きく動くつもりである。いよいよ2期も決算だ。次につながる何かを残して、そして次の期を望まねば。

2005年5月2日

《本来のスタンス》

本来のスタンスに戻ることにする。
つまり、このプレジデントルームであれば
「書ける時に書く。何ヶ月休もうとも、また時間が取れたら、気分が乗ったら書けばそれでいい。」
ということだ。
もともと私自身が短期集中のムラッけの塊であるのだから、そもそも「毎日○○をしよう!」という心構え自体が自分らしくなかった。
趣味にしろ、学習にしろ、今まで長く続いているものは、やりたいとき、必要なときに、好きなだけやる。というものに尽きる。「毎日少しずつやらねば」と勢い込んだものは、溜まった時に振り返って嫌になり、二度と行わなくなる。そのくらいならば、やれるときにやれるだけ、と思っていれば再開するのも気が楽である。
「このネタは明日にとっておこう」というのも、実に自分らしくない。やりたい物というのは旬の時期があり、それを逃すと魅力を失うものだ。余力を残して次の日にゆだねる、というのは自分の輝きを失うものだろう。
また、大学時代の友はこうも語っていた。
「明日やろうとする愚か者め、賢者は昨日している。」
今日できる事を力いっぱいやる。それで良いのだ。

春木中学は、私の母校「春木台小学校」とお隣の「音貝小学校」がくっつく。
中学に上がり、音貝からきたH氏と知り合う。私の中学時代はなんと云っても彼の影響が大きいだろう。
彼が私に持ち込んだ文化はズバリ「クイズ」と「パソコン」である。
そもそも、私が立命館を志したのがウルトラクイズで大活躍した長戸や能勢がRUQS(立命館大学クイズソサエティ)出身であったからである。
この頃は、クイズブームで各局クイズ番組が大爆発していた。雑学を集める習性はこの頃身についていったのだろう。
パソコンについては、ゲーム歴共に振り返ろう。
初めて買ったゲーム機は、セガの何かだったと思う。小学・・2年生あたりの時である。
程なくして任天堂からファミコンが登場することになるのだが、セガが壊れて動かなくなった後、なぜかMSXを買った。
つまり、これがパソコン歴の始まりである。恐らく確か、ゲーム機として買ったのだ。
今となってはあまり思い出せないのだが、カートリッジのカセットのほかに、普通のテープレコーダでロードするタイプのゲームもやっていたと思う。
「ピーピーガーッ!」と音がして、ロードに30分くらいかかるやつ。
自分でもベーマガを見て入力をしていたりしたが、プログラム知識は表面だけであった。
中学に入り、H氏がドラクエの戦闘シーンもどきを作っているのを見て、触発されウィザードリィもどきのゲームや三国志もどきのゲームを創る。
これが本格的にプログラムを組んだ最初になった。
生徒会もやった。それなりに忙しかったのだが、大きなイベントとしては二つ覚えている。
一つは雲仙普賢岳の噴火に対して募金を集めて送ったこと。何気に提案して始まったのだが、取材がきたり表彰されたりでえらい騒ぎに発展していた。
もう一つは、頭髪規制の撤廃。丸坊主だったのをやめた。これは時代の流れに乗ったのだが、実現まではそれはもう大変だった。
思えば、この中学までの期間で、自分というものの素地は殆ど出来上がっている。
一気に書いたが、中学時代と大学時代は書こうと思えばいくらでも書ける。重要なターニングポイントになっている。