プライオリティとは、優先順位を意味する言葉だ。
ファーストプライオリティを「全てを投げ打ってでも優先させるモノ」として考えると、これをもっているかどうかでその人の生き様は大きく変わる。
確乎としたファーストプライオリティを設定した人が成功すると他人は大抵非難する。
何かを犠牲にして何かを取るという発想はきっと多くの人にとって心地いいものではないのだろう。
しかし何かに賭ける人の生き方というのは、私から見ると清々しい。たとえその人が志す所が世間から見て悪と判断されることであってもだ。
あなたは「これが私のプライオリティだ!」と断言できる何かをもっているか。私にはある。

今回引き受けている案件では、やたらと注文が多い。
基本的には、ミスに対するクレームなのだが、あまりに現場感覚、現実感覚を失ったクレーム・注文であり全ての注文に対して100%こなすことは不可能である。
当社ではアグレッシブに行った結果のミスや通常の業務・判断の範囲で生じたスタッフのミスについては寛容である事を旨としている。失敗は素直に認め謝罪する。改善点があれば早急に対応する。こうした基本姿勢を徹底した上で、スタッフの起こしたミスを責任者たる自分がきちんと責任を取り、必ずスタッフを守る。
こうした姿勢である限り、冒頭のような無理なクライアントの要望やクレームに対してできない事はできないときっちり対応する必要がある。非常に狭い作業場所で作業する以上、ねじを落とすことはありうるし、そもそも高速道路のパーキングに電車で行くことは不可能である。
当社にとっては、スタッフもクライアントも当社に関わっていただく全ての方々は同様に大切な存在である。その意味で当社では「お客様のみが神様」ではありえない。難度の高い仕事になれば要求する金額も上がるし、スタッフにもフェアに支払う必要がある。また、そもそもスタッフを磨耗するような仕事は請けられない。そして、責任を全てかぶる心積もりがある以上、わかりきっているリスク、あるいはローリターンハイリスクの仕事であれば、避けることが経営としての使命である。
当社は、サービスの品質に絶対の自信がある。それでも作業に際して失敗は起こりうる。失敗に対して寛容である事は、報告がしっかり自分まで上がってくる事が必要だと考えているからだ。私が、製品の不良でねじが止まらない旨報告したら、お客様は「ねじがとまらないということであれば、日向さんの評価が下がりますがよろしいでしょうか?」と尋ねてきた。当社のスタッフにも伝えておきたいが、返答は「評価などいくら下げてもらってもかまわない。報告は上げる。対応を答えてほしい。」に尽きる。これをミスととらえられ評価が下がって関連企業などに迷惑がかかろうとも問題ない。全て当社の経営が、私が責任を負う。
一方で、うちがお客様として付き合っている企業様もいくつかあり、私の要望に完全にはこたえてもらえず、多くの時間が費やされた案件があった。結局どこが悪いのかはよくわからないで私が再対応した。私がクライアントであり、何かのミスで迷惑を被っているケースであるが、自分が神様だと思って頭ごなしにクレームをつける事はしたくない。また、結果がどうであれ、きちんと対応していただいているのであれば、それで問題ない。
どんなケースであれ、些細なすれ違いや誰かのミスでどこかに仕事のしわ寄せが行くことはある。仕事は須らく共同作業である。ミスを起こさない努力、ミスが起こったときの対応は、関係者全てが等しく考慮して押し付けあうことのないようにカバーすべきである。願わくば仕事に関わるすべての人が協力して気持ちよく問題に対応する体制を築いていきたいと説に思う。

企業家としてやってみたい分野は何か?と問われると、おそらく先の見える企業家であればほとんど全員「金融」と答えるだろう。お金がお金を生むことを知り尽くした企業家である。金融の持つ魅力は誰よりも理解しているだろう。
次は「メディア」だ。企業におけるブランディング戦略上、自社内でメディアを握っているメリットは計り知れない。金融に比べれば規模も多様化しており、等身大で手の出る分野でもある。
さて、おそらくここまでは、どの経営者に聞いても同じような答えが返ってくると思うのだが、その次となると大きく経営者自信の性格が出る。
ざっくり分けると次のどれかだと思う。「製造・流通・人材・小売・飲食」どれも面白い。昔の日本企業経営者であれば、「最後はモノづくりが強い」というだろうし、短期間で勝負に出るならば「爆発力ならば飲食だろう」というだろう。
私は。と問われれば、最後は全部をやってみたいと答える。進むべき目標が決まっているとしても、そこへたどり着く道はたくさん伸びていて良い筈だ。

2005年3月15日

《創業者》

創業者の会社にかける思いは、非常に強いものとなる。
お金も生活も全てを賭けて社業に臨むのだから、当然である。
だがひとたび法人としてしまえば、会社は創業者のものではなくなってしまう。それでも、出資金を全て創業者が出しているならば、その会社は出資者たる創業者のものと云えるだろう。
上場となり株主が複数になってしまえば、いよいよ会社は一人の個人の所有物ではありえない。
ここで、ふと思う。会社は子供に似ていないだろうか。思いいれ一杯に育てていき、最後は一つの人格として手から離れる。「法人」とはよく云ったものだ。

元証券屋ということで、またはオンライントレードの部署にいたということで、年配の方では株についての話題を振ってくることが多い。いつもひとつ明らかにしておくのだが、私はトレーダーとしてはテクニカルト中心のスイングトレーダーに分類される。云ってみれば株式について私が見ているのは、チャートだの指標だのであって、個別銘柄の会社状況やファイナンスにはかけらも興味がない。当面今すぐ整理ポストに入ったりしない限り銘柄は何だって良いのだ。ボードに張り付いてディでやれるほど暇ではないので、株を触るときは、ストップロスを決めた数日の決済を目指している。
最近は会社にすべての資金をつぎ込んでいるので、株式に回すだけのゆとりはないのだが、タイミングや市況感を失わないように大きな指標だけは追っている。12月20日はそうした予兆に引っかかってきたわけだが、その後方針は何も変わらない。方針は、ジャスダックを見る。基本長期強気は変わらず、暴騰するタイミングがあれば、他の市場も引っ張られて強気。一時的に調整をかけるようであれば様子見。売りがける局面ではない。予兆はある。あるのだ。ひと吹きすれば面白い。
結局は株価について話すのは楽しいと思っているのかもしれない。