2005年3月22日

《監督》

往年の名選手がそのまま名監督を意味するものでないことは、一般的に知られることであろう。
そう。プレーヤーとしての能力とマネジメントとしての能力とは別のものであるからだ。
プレーヤーを長く続けたからといってマネジメントができるようになったとは云えない。
こんなシンプルな関係を日本企業はずっと見誤ってきた。それが年功序列という考えだ。
考えてみればこの「無能上司生成システム」はようやく今になってヤメようという姿勢が打ち出されつつある。
さて、一方でマネジメントを司るものが現場を知らないで指揮を執ることが可能だろうか。
これは100%不可能であると言い切っていい。
管理するものが、時間や金や物であるときはまだその人物の資質でカバーできるが、こと人に限っては現場を知らないでその管理を行うことは不可能である。
年功序列はまだよい。名選手が名監督である可能性というものはいつでも残されているのだから。
この現場を知らない監督というのは、最悪である。
今、日本企業のマネジメントは名選手からのなりあがりを脱却して、現場を全く知らないド素人に託されつつある。

2005年3月21日

《気付き》

所謂、「デキる職業人」という人種は自分の見える範囲と、そのもう一歩だけ広い範囲の人達の事を気遣える人だと思う。
直接見知らない人と電話で対応する場合、如実にその人がどれだけ「普通の職業人」であるかがわかる。
電話の向こう側にいるひとにとっては、その人が「その会社」であり、「その集団」そのものとなる。
我々も良く、サポート本部などに連絡する場合に「あの対応はひどいな」と思うことが多々あるのだが、相手が一兵隊だと思って話している相手がスタッフ全体に影響のあるキーパーソンである事などきっと考えもしないのだろう。
翻って、我々が連絡のときに取り次いでくれているお兄さんやお姉さんが、意外に社内で影響力のある人物であるケースなど、日常的にあるのだ。
そこに気付く事ができるか、が、デキる職業人になるための第一歩であることは疑い得ない。

2005年3月20日

《卒業》

母校の卒業式を見るために立命に往く。
私が在学していた時期にかぶる後輩はこれで全て卒業したことになる。
そこで日々マジックをしていた事、安い馴染みの食堂に空腹を満たしたこと、ほんの手の届く位近い昔確かに自分の青春はここにあった。
共に笑いあった最後の仲間たちに今、心から感謝と祝福を送りたい。
さぁ友よ!新たなるそれぞれの道を往け!

2005年3月19日

《全てだ!》

「やりたい事がわからない」
就職を前にしてそう語る学生を見ても私には全く理解できない。
私にはやりたい事が限りなくある。カテゴリをビジネスに限ってみたとしても経営・情報・金融の三本柱はもちろんのこと、教育・飲食・流通・小売・製造もやってみたい。
それぞれの細かいところを攻めればもっともっとやりたい事は湧き出てくる。
「なんで今の職種を選んだの?」「今後どうしたいの?」
そんな私に彼らは尋ねる。
答えはわかっているだろう?
そう。
「全てだ!」
男と生まれたからにはやりたい事は全て取れ!

プライオリティとは、優先順位を意味する言葉だ。
ファーストプライオリティを「全てを投げ打ってでも優先させるモノ」として考えると、これをもっているかどうかでその人の生き様は大きく変わる。
確乎としたファーストプライオリティを設定した人が成功すると他人は大抵非難する。
何かを犠牲にして何かを取るという発想はきっと多くの人にとって心地いいものではないのだろう。
しかし何かに賭ける人の生き方というのは、私から見ると清々しい。たとえその人が志す所が世間から見て悪と判断されることであってもだ。
あなたは「これが私のプライオリティだ!」と断言できる何かをもっているか。私にはある。