言葉にすると非常に恥ずかしいので書きづらい。
しかし、働いてくれているスタッフにとっては、トップがここを正直に語らねば不安だろうし、クライアントも知っておきたいはずだ。だから、正直に書こう。
1.きちんとスタッフが安心して生活できる組織にする。
今、私が切実に思う課題はまさにここにある。今までの支払がアンフェアであったとは思っていないが、生活を維持しうる十分な報酬を出せているか?報酬を出すための仕事量を出せているか?仕事の質に見合った単価を提示できているか?と云う点について、十分に報いているとは云いがたい。もちろんスタッフのアビリティや案件の重要度によって対価を考えるのは「実力主義」的な報酬体制を築く上でいづれ不可欠であろうが、現在のところは最低限をボトムアップしていく必要がある。案件をまるごと請けられる会社としてのキャパシティや達成実績を増すための人員増強も必要であろうし、単価よりも支払スパンをきっちり守る事を重要視すべきだと考えている。そもそも、単価を上げるよりはまだ仕事量を増やす方向に注力したい。また失敗率の高い仕事は高単価であっても今は敬遠している。
2.「普通」である事を優先する。
ベンチャーであれば、殆どが何かのビジネスで特化していていたり、いわゆる「強みとは何か」「イノベーション」という点がクローズアップされがちである。しかし我々のやっているPC導入やOA機器保守という仕事は昔からある泥臭いものであるし、IT系という言葉から連想される華々しさというものは実際にはあまり感じられない。しかし、お客さんの困っている姿を見れば何とか助けてあげたいと思うし、スタッフをむちゃくちゃな労働環境で使い潰すような仕事は、いくら金額が良くても請けたくない。
反対に、クライアントには最高の使い勝手を約束する事は出来ないし、常識外の要求はたとえ煙たがられてもお断りする。また、スタッフにはやってもらえる範囲で休日の出動や残業もお願いしなければならないし、希望通りの金額に届かない時もある。願わくば「お互い様」の心でミックスアップしていければお互いの希望も少しずつ叶えられると思う。
3.「会社になる」事を実践する。
走れる部分から走ってきた会社である。不備な点も数多い。バックグラウンドの部分で現状に納得できているスタッフなどはいないだろう。「会社の○○が悪い。」「方向性を十分語っていない。」と思う部分は他社にもまして多いに違いない。決裁権の殆ど全てが社長に集中している現在の当社の体制では、責任の所在ははっきりしている。今までのところ資金的な頭打ちのために滞っていた部分が殆どであるが、一つ一つ大きな欠陥や緊急の課題を埋めつつあるところである。「資金的な大穴をあけて皆への支払が滞る」という最悪の事態は避けつつ可能な限りまずは「普通の会社」レベルを目指したい。
ざっと書いてみたが、共感は得られるだろうか。いい質のサービスをするためには、何よりもスタッフが気持ちよく働く事が重要だ。個々を見てケアしていく事はもちろん大切だが、組織のリーダーであれば体制を考えねばならない。体制を確立していく上で基本となる考えが上記となるだろう。
一歩一歩。進んでいける会社でありたい。

2006年3月2日

《仕様変更》

調整段階で、仕様をフィックスしたと考えていたにもかかわらず、ユーザと接する現場レベルで頻繁に仕様変更が発生する。こうした悩みを抱えるSIベンダーは多いはずだ。
調整や設計の段階でフィックスした仕様が、テストや導入段階で大幅に変更になれば、当然コストや納期、品質を大きく脅かす。だから我々システム屋としては導入前の調整が如何に大切かと云う事を調整を担当する企業や担当者にいつも伝えているのだが、それでも現場レベルで見渡して「調整が完璧であった」と思える現場というのは皆無に近い。
発生しうる状況を全て網羅した調整というのは無理があるし、長期に渡るプロジェクトについて状況の変化に応じてユーザからの要求が変わる事はむしろ当然の事である。「そういう仕様ですから。」と要求をシャットダウンする事は簡単であるし、管理者にとっては理想の姿かもしれないが、もしその作られるプロダクツの存在価値を問われるような要求を放置したとしたら、サービスの品質としては到底お客様のニーズに応えたものを提供できているとは云いづらいものになる。
一方で、じつはお客様の要望を全て鵜呑みにする事も実は簡単なのである。しかし事前調整から大きくかけ離れた仕様変更を全て受け入れてしまえば、別の仕様変更を招いたり、しわ寄せが下流で下請けしている会社に直撃したりする事になる。
現実のところ、あきらかに常識的に考えて恥ずかしいと感じる仕様や調整についてはフィックス後であってもベンダー側の調整で変更をかけに行くべきだと現場レベルでも感じているし、一人二人のユーザがごねているだけで、全ての作業者がオールストップするような調整しか出来ないベンダーでは、関係者もたまらないだろうし、何よりもユーザ自身も不安になるのではないだろうか。
時は3月。多くのプロジェクトが納期を迎える時期であり、我々の仕事の正念場でもある。我々としては、ある程度振り回されるのは当然覚悟の上である。しかし、どんなに忙しくなろうとも品質をあまり下げたくないと思うのが、現場サイドで考える我々の正直な気持ちであるのだ。
当社のクライアントに求める事としては、現場サイドですら恥ずかしいと思う仕様であれば、納期が厳しくとも変更に応じてあげるべきであると思うし、この時期になってもユーザに振り回されてスケジューリングでエンドの見えない作業であれば、いずれ明らかになる納期が守れ無くなった責任を下請や作業員の品質に転化するのだけはやめてほしいと思う。

2006年2月19日

《時間を守る》

仕事をする上で、上司や取引先に対してどんな事にもハイハイと従い覚えをめでたくする事は簡単である。
自分ひとりの事であれば、残業や休日出勤をして凌ぐ事も出来るだろうし、自分の残業代をつけなければ目に見えるコストも上がっていく事はない。
しかし、多くの仕事が協業で成り立っている以上、いくら取り入りたい上司の希望や大切にしたいお客様のご要望でも全てを受け入れていたのでは、協力してくれる部下や一緒に仕事をしている下請会社に対して多大な迷惑を与えてしまう事になる。
特に大きくの人や組織が関わっているプロジェクトをリスケする場合などには、関係者全てのスケジュールを再調整する必要があり、金額だけでは解決できない場合もある。キャンセルであればそれこそ金額だけの問題で片付けられるが、既に他のスケジュールが入っているところにねじ込んでいくような大幅なタイムオーバーや日程変更は、金額よりも信用を取りたい人や組織としては何とも調整のしようが無いものなのだ。
だからこそ、仕事上では「約束した時間を守る」という事がこれほど重要視されるのだろう。
「開始時間を守らせたい、ドタキャンは赦さない」、というのであれば、自らも「終了時間を守る、ドタキャンはしない」、ということを守らなければいけない。これは本来、お金を払う側こそが気をつけるべき事項である。

2006年2月11日

《仕事は忘れて》

明日は姉の結婚式なので、今週末土日は社業を全て任せて、すっぱり仕事を忘れて姉の為に準備するつもりでいた。
昨日も夕方からは家族から仰せつかっていた仕事もあり、とても社業を進める事なんてできないと思っていた。しかしながらそんな日に限ってトラブルというものはやってくるものである。
土曜日の手配が急遽変わってみたり、月曜日の既に仕事枠一杯請けているところにもう一件ねじ込まれたり、既に確定したと思っていた案件のスタートを渋られたりで、携帯電話から離れられない。
ちょうど10日で支払日と云う事もあり、振込みの確認を終えると23時。
バイトの面談結果を金曜日中に送ると約束しながらも、再スケジュールをする余裕はかけらも残されていなかった。とりあえず、スケジューリングについては専務に渡し、今日明日の現場に目処が付いたあたりでやってもらう事にする。
朝起きるとクシャミが連続で3発。まずい。どこかでウイルスを仕入れてきたか?
しかし、今日こそは、仕事から距離を置いて明日の準備をしなければならない。なんといっても披露宴で行うマジックについて、まだかけらも準備できていない。
起きてみて今日明日の手筈を家族と確認すると、今日の夜は親戚を家に泊めるのでテーブルから会社のものを片付けるように指示される。確かに見れば、昨日の支払の為に必死で計算した領収書、送られてきて保留にしていた請求書、面接で受け取った履歴書や職務経歴書、1月から加入し始めた雇用関係書類が、所狭しと無残に散乱している。これでは恥ずかしくて人を家には泊められない。
一時的に端っこに寄せておこうかとも思ったが、なくしてしまうと一大事な重要書類ばかりだ。一大決心をして、事務処理に取り掛かる。
ふと気がつくと、いつもにもまして仕事をしている自分がいる。姉よ、すまぬ・・。

2006年1月27日

《数学にはまる》

学生の頃は、「なんでこんな事を勉強するのだろう?」という事が多々あった。
大学を卒業するまで、「学問は実生活に活かせるもので無ければ意味が無い。」という実学重視で学んできた。
おかげで経済学や会計学について理論的な部分を問われても表面をなめるようにしか答えられないが、実際に投資や経営、税務を行う事は滞りなくできる。
一方で、抜け落ちた基礎の部分で判断が揺らぐ事も多いし、納得できずに釈然としないままルールを丸呑みしている事も多い。実学重視とは「そういうものだ」と思って飲み込む事である以上、仕方が無いのだが、「ナゼだ!」という疑問はずっと引きずり、何かにつけて思い出す疑問となる。
社会人になると、当時丸呑みして覚えていた疑問にぶつかり、学術的な論拠を得てスッキリするという学び方にも多少軸足を移す事ができる。こうした学習は何かをするために必要な事ではないが、自分の中の世界を広げてくれるし、合理的な判断をするためにも役立つ。
本当に些細な事が多いのだ。
「赤字の計算をする時に、-1.5を四捨五入すると-2にするのは違和感がある。」とか、
「5分の1は、10進数なら0.2と割り切れるのに、2進数だと、0.00110011…と循環小数になるのは何となく納得できない。」とか。
経営やコンピュータに関わらない実業とそれた部分であっても、そもそも、「分数の割り算は何で逆数をかけるの?」というあたりから、良く分からずにルールを呑んでいる部分はたくさんある。
覚えた当時の頭では理解できなかっただろうが、今であれば理解できるしその理解は他の疑問も連鎖的に解かすケースが少なくない。
しかし、何といっても新しい概念を理解する時に感じる世界の広がりみたいなものは、何歳になっても楽しいと感じるものだ。昇進して、新しいポジション・新しい視点で物事を考える時に感じる別世界の感覚と、虚数を理解して直線から面積に広がる数の世界を知る興奮と、意外に似ているのかもしれない。